「ここは退屈迎えに来て」感想

新宿バルト9で舞台挨拶付き上映回のここは退屈迎えに来て」を観てきた。

taikutsu.jp

原作を何度も読み返すぐらい好きな作品なので、国道沿いのファミレスだとか、変電所が見える農道を自転車で走る高校生とか、自分自身が見ていたような景色と、原作を読んだ時に浮かんだ「わたし」の視点で見えるそれらの景色を、こうして映像として残してもらえてそれだけでこの映画を観ることが出来てよかったなと思う。引きの画が多く終始淡々としているので、家でじっくり観たいタイプの映画ではあった。

物語の舞台は20042013年。ロードサイドと言われる風景の中で、どこかに行きたくてもどこに行けば良いのかわからない、行きたくても行くことの出来なかった、そんなままならなさを抱えた地方都市の若者たちによる群像劇となっている。東京へ行ったものの、何者かになることなく地元に戻ってきた「わたし」。同じような境遇の須賀さん。「わたし」の高校時代の友人であるサツキは「私も東京へ行けばよかった」と呟く。

高校卒業後、10年間を東京で過ごした「わたし」の話す東京での出来事は、サツキちゃんにとっては遠く浮ついたお話にしか聞こえない。「付き合った彼氏が鬱病になり同棲を解消した」といったエピソードは、どこか物語めいていて現実感がないからこそ憧れる。「かっこいいなぁ」と半ば茶化すようなサツキのその言い方に、憧れていた何かを掴めなかった後悔や、踏み出すことを諦めてしまったような感情が読み取れて、少し前の自分を重ねずにはいられなかった。自分が登場人物の誰かと同じ境遇だというわけではない。2013年の「わたし」とサツキは27歳のようだけど「今からでも東京行けばいいじゃん」と言う「わたし」に対して「今行ってどうすんの。若い時に行かないとだめだよ」と答えるサツキ。本心では東京に行くことはもうないと考えているのが見えて、そんな俺はここから抜け出したくて、28歳にもなって東京へ来たんだなと改めて自分のことを思い出してしまい、この何気ない会話が今も頭に残っている。

登場人物たちは2004年〜2013年の同じ地方都市の狭い中で、どこかですれ違っている人たちもいれば、何の繋がりもない人物同士もいるし、抱えている事情もそれぞれ違うのだけど、みな自分の居場所はここではないと感じている。その「ここではないどこか」へ行ける手段として車が出てくるが「わたし」とサツキが再会した新保君が乗っているのは原付だったりする。東京に住んでいるけどたまたま里帰り中というのは彼の嘘で、今も思い出の場所、あるいは自分を縛り付ける場所でもある寂れたゲームセンターに通い続けている。彼があの頃のままならなさを今も抱えているのは、車を持っていないから、といっても大げさには思えない。ここではなかった、でも東京でもなかった。そんな「わたし」に対して、ラストシーンで椎名が放つ一言をどう受け止めればいいのか、いつか地元に戻る日が来れば見つけられるのだろうか。橋本愛、可愛かった。